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日々の思考の給水所。人生論がお好きなマーケターさんはごひいきに。

「孫子の兵法」からパンピーが学べるたった1つの戦略

日常生活で使える、孫子の兵法です。

懺悔

突然ですが、僕は孫正義ではありません。この際ですから、本当のことを申し上げます。

残念ながら、僕はマッカーサーでもありません。勘違いされていた日本国民の皆様におかれましては、明日のうちに人類が滅亡するとしても、どうかこの事実を受け止めていただきたい。

つまり、僕は経営者でも総司令官でもないのです。パンピーです。いたってパンピーなのです。

パンピーを知らないおじさまに説明しますと、パンピーとは一般ピーポーの略です。一般人のことで、パンツピーピーとかそういうのの略じゃありません)

それで、パンツピーピーの僕は「孫子の兵法」を読んでこう思いました。豚に真珠やと。真珠の使いみちそこじゃなかったわと。まだアソコに埋めた方が意味あるちゃうんかと。

読み応えがありすぎた結果なのかなさすぎた結果なのか、そう感じたわけです。

しかしたった1つ、1つだけです。有益な戦略論が見つかったのです。

今日はそれを紹介します。

「兵は詭道(きどう)なり」

孫子の兵法を読んで、パンツピーピーから脱出する戦略論。

一体何でしょうか。

彼を知り己を知れば、百戦危うからず?

有名な一節ですね。違います。

戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり?

戦わずして勝つこそ最上、という教えですね。これも違います。

答えはもう出てますけど(タイトルで)

兵は詭道なり

です。

なぜか。

「それって敵を欺けっていう考え方でしょ?」とお考えの勘違いしてるマンのみなさま、気持ちは分かります。どうか静粛に願いたい。

兵は詭道なり」とはいわずもがな「戦争のキモは相手をいかに欺くかにある」という孫子の教えですが、これを説明するには2つほど、説明しなくてはならないことがあるのです。

兵は詭道なりの現代語訳をするためには

  • 「敵」とは一体誰のことか
  • 「欺く」とは一体なんのことなのか

という2点を定義しなくてはなりません。

この2点の時代錯誤さえ現代に置き換えられれば、孫子が現代に召喚されるのです。

時代錯誤の謎を解くためには、孫武の生きた時代と我々の生きる時代の明確な違いである「戦いの環境」こそ有益なヒントなのです。

利害関係のあるものはすべて「敵」

孫武とぼくらの違い

いくらでも出てきますので、ブレインストーミング的に考えましょう。

  • 食料が十分にある

いいですね。食うもんには困りません。生きるのに不自由しなくなったといえるでしょう。

  • ITがなんかヤバい

もっと細分化できませんか俺

  • タイムラグなしで情報が伝わる
  • 情報が多すぎて敵の動きが読めない
  • 1:1で戦うわけじゃない

これはいい視点です(自画自賛)。まとめると、これは「物理空間に於ける戦い」から「情報空間の戦い」に移り変わったということではないでしょうか。

孫子の兵法が使える対象と使えない対象

ゆーても、軍事戦略はまだまだ騙し合いです。

情報操作のレベルが高い(機密性が高い)ですし、すぐに情報が得られるわけではなく、また兵士のテレポーテーションもできないので「予測」や「詭道」が有効なのです。

また大企業の経営戦略も同様です。内部情報が多く、統率をとるのにもテレパシーが使えない以上は、情報伝達に時間がかかります。

タイタニックが氷山を避けられなかったように、戦艦大和が毎秒2°ずつしか砲台を動かせなかったように。

図体がでかい戦いになればなるほど、時間軸をずらした「予測」や「詭道」が有効なわけです。

しかし、我々個々人レベルの戦いに、上に述べたような「時間軸のズレ」があるでしょうか。大掛かりな予測をしなければ大打撃を受けてしまう、あえて相手の意図をそらして自分の付け入る空きを増やす場面があるでしょうか。

取引先や競合他社に対する戦略を部署レベルで考えることはあるでしょうが、それならばもっといい戦略論が出ています。孫子の兵法に頼るまでもなく、巷のマーケティング本や営業ハウツー本、営業支援システムで事足りるはずです。

この部分、「孫子の兵法って図体のでかい戦いじゃないと使えなくない?」っていうところが、ぼくも解せなかったんです。

でもね、ふとあるとき気づいたことがあって。

「あれ?今まで腑に落ちてなかったこの考え方って、孫子の兵法の考え方でなんとかなるじゃん」ってひらめいたのです。

敵も味方もない世界で、我々はどう生きるか

個人的な話になります。

年代が20や30、ときには40や50も上の人達は、わかっているのかいないのか「社会のルール」を押し付けてきます。これは守れ、俺が守れと言ってるんだから守れ、さもないとお前は痛い目に合うことになるぞと。ご丁寧にも「お前のために言っているんだ」という優しさまでオマケしてくれます。

確かに、守るべきルールというものは存在します。でもぼくらの考えるべきは

  • 守るべきルールの前提から考え直す

ということだと思うのです。

年配の人が「あたりまえ」だと教えられ、ぼくらにも示してくれているその基準って、

  • 本当に必要なの?
  • なんのためになるの?なぜ必要なの?
  • 守らなかったらどうなるの?
  • 自分はどうすべきなの?

という疑問を1つ1つ考え、自分なりの答えを持っておくこと。ソッチのほうが楽しくないですか?この進歩の早い世界で、ルールの変わりゆく世界で、根本的な考えや理由や原則を理解している人の方が人生楽しいと思うのです。

というわけで、いくら近しい人の意見でも、「社会のルール」をそのまま鵜呑みにすれば気持ち悪いし、反対意見を言えば議論にならない。でも自分のためは確かに思ってくれている。

どうしたらいいんだあああああああああ

と、悩んでいました。

  • 彼を敵としてうまく受け流すべきなのか
  • 味方として徹底的に疑問点を解消し話し合うべきなのか

ぼくにはこの2つの選択肢しかみえていなかったんです。

そして、ひらめいたのはこのときです。

孫子の兵法がスッカスカの頭の中に駆け巡りました。

 

  • 戦わずして勝つ・・・
  • 敵の資源を利用する・・・
  • 能力があってもないフリをする・・・
  • その場の感情で感情を乱すのはあってはならない・・・

あっ、そういうことだったんか。

 

孫子の兵法」の言葉に血が通った瞬間でした。

ひらめいたものの中で「最も根本的に勘違いしてしまっていたこと」は、「敵とはなんぞや?」ということでした。

そう、孫子の兵法を考える上で「孫武の時代の前提」を「現代人の前提」にとっかえる必要があるのですが、この部分で見過ごしていた前提に、このとき気づいたんです。

ぜひ一度「敵とはなんぞや」と問いかけてみてくだされ。

この答えは、先ほどの「兵は詭道なり」を理解する1点目の問いかけであり、「詭道」のほんとうの意味を理解する手助けになる問いでもあります。

現代における「敵」の定義

敵とはなにか。

H2タイトルに答えかいちゃいましたが、ここでいったん現代のビジネスで一般化させてください。

  • 顧客
  • 競合他社
  • 上司

この3つの登場人物は、それぞれ味方でしょうか。

それとも敵でしょうか。

分類してみてください。

よろしいですか?

議論を多人数で進めるのはマイケル・サンデルに任せるとして、ここでは僕の考えを書きますね。

僕の答えは、

 

  •  顧客も敵でありえる、
  • 交渉相手も敵でありえる、
  • 上司も敵でありえる、

 

ということです。

つまり「全員が敵でありえる」ということなんですね。

(同時に味方でもあるんですが、敵でありうるという認識を持ってあたることが「味方に引き込む」ことに繋がります。起業家っていう人種の、スキのなさ・人懐っこさ・抜け目のなさ…ってのはこんな考えから生まれるのではないかと。どう思われますか?)

ここには3つの原則の変化があります。いってしまえば簡単なことで

  • 戦場
  • 成果物(報酬)
  • 所属コミュニティ

この3つが孫武の時代とは違う。

簡単にいえば、

  • 戦場は、物理的に遠く離れた地から身近な地(特に情報空間)へ
  • 成果物は、「土地や金銭・平和」に加え「名声・承認欲求」へ
  • 所属コミュニティは「国」から「家族・職場・プライベート・趣味」無数のコミュニティへ

この変化の解釈は魔がくなってしまうので、今回は省略しますが、こういった変化を引き起こした張本人は「IT化」だということだけ言及。

顧客だって、思っているようにはいかないですよ。お金かかってますからね。利害関係があるんです。仲間だと思ってたって、利害が絡めば仲良くもなるし割れもします。思い通りにいかないことだってあります。

交渉相手だって、足元みて揺さぶってきます。無理難題だって突き付けてきます。昨日言ってたことと今日言ってることが違うなんてことも当然あります。

上司だって敵になり得ます。無能なくせに、立場だけは上。たいした価値も発揮せず自分の手柄を邪魔するような、鼻につく半沢直樹の上司みたいな人がいるわけです。

全員が「敵」であると同時に、全員が「味方」でありえるんです。

加えてここで重要なのは、決して戦いから「逃げることなかれ」です。戦いは必ず起きます。価値のあるところには戦いがあるのです。

利害関係のない関係は心地よい存在です。何も気にしなくていいのです。ただ気楽に愉しめばいいのです。しかし人として戦いから逃れることはできません。

大学受験だってそうです。

友達を応援してたって、その子が受かって自分が落ちたらどう思います?悔しいですよね。相手を蹴落とすってより、もっと自分勝たせなきゃダメですよね。意外と友達なんて「物件どこにしよっかなぁー」「髪の色はぁー」とか浮かれてるもんですよ。それが「勝敗が決する」ということです。自分勝たなきゃダメですよね。

可愛い子の奪い合いだってそうです。

奪い合うのがみっともなくても、負けるのがかっこ悪くても、やっぱ可愛い子とアレやコレやしたいじゃない。いくら「あいつはいいやつ」とか口でいってても、ホントは自分がぎゅってしたいことだってあるじゃない。

自動車事故起こしたらどうしますか?

みんな普段はいい人でも、いざお金がかかってくれば平気で持ったり平気で嘘つくんですよ。人間の本性なんて、それくらいのもんですよ。

わかってんですよね、みんな。

自分は損したくないって思ってる。得したいって思ってる。いい想いをしたいって思ってる。みじめな想いをしたくないって思ってる。

戦わなきゃいけない、ってことから目をそらして生きてる。本当はこの現実はー平和も日々の生活も人との関係もー戦いの上に成り立っているというのに。

利害関係あるならば、必ず戦いが起こる。

いくら戦いたくなくても、人には戦わなきゃいけないときがある。

 

そんなときのための戦術論が「孫子の兵法」なんです。

孫子の兵法」は利害関係のある全てのシーンにおいて使える戦術書なんです。

それも決して「卑怯な手」を使うのではなく、「道」を求めて。

と、ぼくは思います。

そしてここから言えることは

利害関係が100%一致するわけではない存在は全て敵である

ということです。

敵から学べ、利用しろ。

ということです。 

 

上述した「ひらめいたこと」というのは

世界は「敵か味方か」の2択ではない。

ということでした。

味方も敵になり得るし、敵も味方になり得る。

敵だと決めつければ、味方にする可能性を潰すことになる。味方だと決めつければ、敵になったときに対応できなくなる。そうやってぼくらは「自分が挑む戦い」に負けてしまうわけです。

避けられない戦いに勝つためには、敵と味方の定義そのものを定義しなおし、定義そのものをコントロールすること。それがぼくらにも適用できる「孫子の兵法」の思考ではないかなというのが結論です。

まとめ

 

ここまで「人には避けられない戦いがあり、そこには他人が介在し、自分ではどうにもならない部分があり、敵と味方の制御において孫子の兵法が有益である」という切り口で解説してみました。

人それぞれ思い当たる節があるのではないでしょうか。

具体的な人と人とのつきあい方にも言及したいのですが、そうなると孫子の兵法全体が適用範囲となってしまうため今回は割愛します。・・

孫子の兵法は、戦争における「必勝法」を説いています。

そしてこうも言っています。

「必勝法とは戦わずして勝つことだ」と。

つまり、コストをいかに擬似的に増やし、局面を制覇するか。

紀元前の1:1の戦争は、莫大な時間的・金銭的コストがかかります。

根本的な思想や考えをこの視点(時間的・金銭的コスト)に集約させることで、抽象度をさげた具体的な戦術論に落としこんだ

  • 情報の操作(地の利やスパイ)
  • 指揮の取り方(夜太鼓や追い詰め方)
  • 戦術面(予測や分散)

といった戦術論がまとめられているわけです。

ここで、企業経営者でもなく、国軍総司令官でもないぼくらが脳内変換すべきなのは

  • 敵とはもはや敵のことではなく
  • 味方とはもはや味方のことではない
  • 自分自身が国であり将である

といった部分。これを第一に変換しておくと、適用範囲が広がります。

人によってさらなるカスタマイズが必要だったりするでしょうが。

誰が敵で、誰が味方なのか。「親しき仲にも礼儀あり」というけれど、礼儀とは敵の視点であり、親しくするのは味方の視点である。

どこを攻めるのか、どこを守るのか。時間的リソースは現代の我々にとっても変わらず限られた資源であり、このリソースをどこに向けるのか。どこで戦うのか。

「戦略としての人と人とのつきあい方が書いてある」という視点で一度目を通されてみてはいかがでしょうか。

 

p.s.孫子の兵法って「エッセンシャル思考」と相性いいと思う。※AMAZONKindleリンク

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