芸能界の怪物・島田紳助の処世術
人が成功する要因
人が成功するには「エネルギー」が必要だ。
エネルギーとはお金であり、信用であったり。またその人が内面に包括するもの-食事や睡眠・潜在意識-から出来ている。
この話、眉唾だろうか。
あえて「成功」と書いたのはわかりやすいからだが、それは単に経済的・社会的成功というものだけではない。
適材適所という言葉もあるとおり、人にはそれぞれ居場所がある。死ぬときに後悔しない「天命」という意味で解釈してもらえたらと思う。
どの世界にも「怪物」がいる。
政治、スポーツやビジネス。どんな世界にも、先頭をひた走るトップランナーがいる。
政治なら田中角栄。
彼らの話を聞いていて思うことがある。使う言葉こそ共通言語であっても、彼らの中には別の言語が存在しているようにみえる。思うところはどこなのか、その実態がつかめない。
一流の発言であり、余裕のある発言であり、どこか達観している。そんな彼らの言動に惹かれ、人生の糧とし刺激とする人も多いだろう。
どうやら彼らには、しばしば「人には見えないものが見えている」ようだ。
そして、誰もが彼らのペースにハマってしまう。
芸能界の怪物が恐れる存在・島田紳助
ダウンタウンといえば十分、芸能界の怪物といえる。ガキの使い、ダウンタウンDX、最近でははしご酒。
「ホンネではしご酒」でダウンタウンの素顔っぽいトークを聞いていると、島田紳助の話題が出ていた。
行列のできる法律相談所に出演していた丸山のおっちゃんが、
ダウンタウンが世にでる前に紳助さんは『俺らの時代は過ぎた』といって漫才コンビを解消した。私にはその決断が稀有のものと思われたが、ダウンタウンはどう思っているのか?
ときくと、ダウンタウンは
島田紳助・松本竜介の漫才はそらぼくらも参考にしましたよ。何度もテープ聴いて。
でよしもとの寄席に月1でゲストがくるんですけど、そこに来てくれはったんですよね。さんまさんや巨人師匠も来てくれはってた寄席なんですけど。
で、ぼくらの漫才の時だけずっと下むいてこっち見ないんですよ。ずっとたこ焼き食べてるんです。「こっち見ろや!」って。ぼくらも見て欲しくてやってるわけやから。
でも見ない。見ないで、終わったあと何日かして「1組だけ、あのコンビがね」ということで話があって・・
という内容。
内容を知りたい人はググッてもらえればと思うが、松ちゃんは「下手な事はいえない」という感じだったし、方向性を定めあぐねている松ちゃんに浜ちゃんが助け舟を出したのをみるにつけても、どうもダウンダウンとはテイストが違うのだな、と感じた次第。
ダウンタウンは芸人だが、島田紳助は芸人ではない
個人的にはダウンタウンこそ芸人である。
芸には世界を平和にする力がある、と本気で思っている。共感によって人を幸せにする力が有ると思っている。
ダウンタウンをみていると人を笑わせる間合い、褒める以上に褒める方法、スマートに人に優しくするにはこうすればいいんだな、と分かる。
一方、島田紳助をみていても別に癒やされないし「これが人を力でねじ伏せる方法か」「これが交渉術か」「これが政治か」とどこが穿った目線で見てしまう。
「しゃべくり007」にも大物ゲストとして出演、島田紳助にしか答えられないシビアな質問の数々
- 浮気した回数は何回か
- 今年中に消えそうな芸人は誰か
- 10年後のお笑い界見取り図はどんなか
と言った質問に対して、その怪物ともいえるトーク力を発揮した。
現在は芸能界を引退し黒い噂が耐えない島田紳助。恐れられつつも慕われる島田紳助。
彼は一体何者なんだろうか。
分析のスペシャリスト島田紳助を分析してみよう
真面目な話、分析が好きやねん
と言っている島田紳助に対して分析をする人間はそうはいないだろう。
なぜなら、みなこう思うのだ。「何も考えずに彼のもとでいうことを聞いていれば、食いっぱぐれることはない」。
その忌憚なき物言いに、次々と繰り出されるトークに、突然始まる自分語りに、誰もが自分のペースをはずれて彼のペースにハマってしまう。
ところで、彼は芸人ではないといった。彼は確かに芸人という枠組みにいるが、彼からは芸人という匂いが感じられない。芸人という羊や牛が集まった牧草地の中に、野生の狼が忍び込み、羊や牛を手懐けた。そんな印象を受けている。
芸人として、司会者としてではなくとも、彼なら何だって成功していた可能性がある。失敗もたくさんするだろうけど、成功するための飽くなき執念があるから成功するまで食いつく。
コピーライターとしても一流だっただろう。アフィリエイターとしても、ベンチャーの経営者としても一流だったろう。特に彼には「変人」「何を考えているのかわからない」という部分がプラスに転じるステージに於いて求心力を発揮し、結果を出しそうだと思う。
島田紳助という男について
紳助と会ったことはないけれど、彼にはどこか不安定さが感じられる。
今日はなぜ彼が彼なのか、自分の思うがままにメモしておきたいと思う。
「モテない」というコンプレックス
インターネット上の閲覧ページの80%は成年向けコンテンツらしい。
SNSの巨星Facebookが広まったのも、最初は「可愛い子投票ランキング」から始まったのだそうだ。
資本主義は金融システムを発達させたが、サラリーマンや企業を志す人の中には「お金さえあればモテる・可愛い女の子とけしからんことができる」というモチベを持っている人も多いだろう。実にわかりやすく、目が輝く目標である。素晴らしい。
島田紳助も例外ではなく、この「モテたい」という脊髄反射の欲求が彼を突き動かしている原動力だそうだ。詳しいことは知らない。
あとホリエモンもモテないのコンプレックスだったらしいね。最近すごく落ち着いて素敵な人になってるけれども。
自分が嫌いな気持ちと好きな気持ちの葛藤
そもそも自分が嫌いだったのだろう。
自分の容姿や自分の声。大抵の人がそうであるように、彼も鋭い自意識があって、自分のことが嫌いで、うんざりしていた。
うんざりする気持ちとは対局な気持ちもあった。
自分で自分を自己分析できる。何がダメで何がよいのか説明できる。人よりも人を見る目がある。人より多くのことに気づき、人より多くアウトプットを出すことができる。
それなのに、結果がついてこない。女子にモテない。そんな自分がまた嫌になった。
「なぜあいつなんかがいいんだ」。
この葛藤によって、圧倒的に人より分析し、圧倒的に人より先を見る島田紳助が生まれたんじゃないかって。
人への圧倒的な期待のなさ
紳助はきっと、圧倒的に人に期待していない。
人がいかに魅力的なうまい話をもちかけてきても、そんな約束はすぐに裏切られる可能性がある事を知っている。
人がメリットでしか動かないことを知っている。
自分のことを可愛くて仕方なく思っていることを知っている。
これはきっと、紳助自身もそうだからだろう。
だからこそ人を分析し、人の動かし方を勉強する。
人の求めるコンテンツを意識し、市場のニーズを捉える。
北風ではなく太陽となることによってしか、人は動かせない。
分析力と記憶力
この素質こそ、彼をいわゆる「天才」たらしめる唯一の素質ではないかと思う。
分析力は、素質である。
歴代の司会者を出身に分けてん。スポーツ選手なのかアナウンサーなのか、役者なのか芸人なのか。
そしたら芸人出身の司会者ってな、30代には多いやんか。たくさんいるでしょ。そしたら40代になったら一気に減るねん。ダウンタウンとかそやんか。で、50代になったらほとんど残ってへん。所さんとかさんまさんくらいやんな。
なんでか言うたら、30代は笑いの要素100%や。でも40代になったら笑いは70%でえぇ。50代なんか笑いの要素はいらん。せやろ?
でな、お笑い芸人出身の50代司会者ってめっちゃ少ないねん。これってめっちゃ美味しいやろ?
生まれ育ちは知らないし、別に興味もない。だけれど大人になるとこの能力は身につかない。彼を彼たらしめる能力の1つである。
記憶力はもっと素質である。
定量化できないけど、やっぱりモノの言い方、格言、人のエピソード、歴史上のストーリー。こういったものがスラっと出てくるのには、記憶力が悪い人には成し得ない。
この記憶力も一応、島田紳助を島田紳助たらしめる要因として記しておきたい。
週4の分析で「島田紳助」をつくりあげる
しゃべくり007がやっていた数年前、紳助は平日4日休んで週末の3日働いていたそうだ。この4日間なにをしているかということについて
週に3日だけ働いて、残りの4日はな、ボケーっとしてんねん
と話した紳助ではあるが、 この4日間ボケーっとしてるだけでアレだけキレのあるトークができるはずがない。
キレのあるトークができるのは、紳助が生まれながらに天才だったからではない。お釈迦様が生まれた瞬間に「天上天下唯我独尊」とつぶやくなんて奇跡は、ゴータマ・シッダッタにも島田紳助にも起こりえない。
紳助トークのメカニズムは、彼の
- トピックが与えられた瞬間の未来予測
- 持てる引き出しのうちどこを開けるか?
という瞬時の判断によって生まれる。
瞬時の判断をするには、引き出しを予め持っておかねば戦えないし、芸人のバックグラウンドを知らないとうまく使えない。
こういったことを整理し、イメージをつくりあげ、未来予測と引き出しを準備する時間。彼にとっての4日間は、彼が市場を分析し、相手を分析し、自分のリズムを作り上げ、自分を形成する時間。「島田紳助」という人物を作り出す時間だと思う。
島田紳助っていう役を演じるのってエネルギーいると思うよ。充填期間みたいなもんやな。
(書きかけ)彼の話術は「政治力」
凡人を釣るには、スターを作り上げることである。
同じ人間だと思わせず、常につかみどころのない人間が欲しい。
彼そのものはとっても小さく素朴で人間らしい人だと思うけれど、きっと彼はその試行錯誤と努力とキャリアの中で、自分の中に「島田紳助」という人間を作り上げてきた。
訊かれたことに答えない、だがそれ以上の価値を提供する、断言せずに断言するやり方・・みたいなテクニックを感じるが、些細なことなのと疲れたのでもう記事は終わり。
これはあくまでテクニックだから、今回はいいや。
今後書き足すことがあったら乞うご期待ください。
ないだろうけど。