“自信”って一体何なのか。
文章でどれだけ伝えられるか分からないんだけれども。
哲学チックで終わりのない話なんだけれども。
夜の酒のつまみにでも付き合ってくれる人がいたら幸い。
自信の「根拠」
自信には2種類ある。根拠なき自信 vs 根拠のある自信だ。
「理由のある自信は本当の自信じゃない」という人がいる一方で、「得意なことを増やして自信をつけていけばいい」という人もいる。
どちらが“本当の自信”だろう?
そもそも、自信って何のためにあるのだろう?何かにチャレンジするために必要なものが「自信」だとしたら、自信がなければ一生何もできない人のままなんだろうか?―そうじゃない。
自信で満ち溢れているように見えても、どうも幸せそうじゃない人もいる。自信=幸せとはならないみたいだ。幸せのための自信って、いったい何なんだろう?
難しい問題だ。
自信の「範囲」
周囲を見渡してみると、子供の頃から運動神経がいい人間は大人になってからもどこか自信がある。かけっこでいつも1位だったり、ドッジボールで活躍していた人間。社会人として成功しやすいかといえば、答えは1つだろう。
運動神経がいいこと・仕事ができること―この2つの間の因果関係は?直接的には何の因果関係もない。走るのが早いからといって、飛脚として働くわけではない。江戸時代ではない。佐川急便でもない。というか、佐川だってトラック使う。50m走のタイムなんて関係ない。
なのに「かけっこ」と「ビジネス」の間には、事実上の相関関係が存在している。
なぜか?簡単な話で、小学校のコミュニティの中で得た自信の影響範囲が広がるからだ。かけっこが早くて、リレーの選抜に選ばれて、女子からモテる。たったこれだけの話が、他者との関わり方や思考判断に影響を与え、人生に大きく影響する。
自信には「範囲」がある、という話。退屈な話だ。
自信の分析はこれくらいにしよう。
自信は「原因」でも「結果」でもない
- 「自信がないから・・」という思考
- 「・・だから自信がない」という思考
どちらも必要性がわからない。言い訳としては最上級に使い勝手がいいけれど、ただそれだけ。
自信があるかないかを判断するのは、世界でたった1人の自分自身だ。規格基準も何もない世界。自信がないと感じてやめるのも、自信がないからやろうと思うのも自分だ。
自信=後付けのスパイス
何に自信があって、何に自信がなくて。1人1人顔が違うように、人生のスパイスだ。スパイスはそれ単独では料理にならないが、料理を料理たらしめている。
ターメリックだけではインド料理にならないが、ターメリックがなければインド料理にならない。
後付けといったのは、したい行動にとってみると自信は「後付けの理由」になるからだ。本当に望んでいるのかいないのか。それによって自信の振りかざし方は変わる。
本当に自信があることに関しては、自信があるだのないだのなんていう議論そのものが必要なくなってくる。“何か知らないけどできるんだよね”、っていう無我の境地に入った人間は、手塚部長以外にもいる。
結果と原因は逆かもしれない
感情にとって、原因があるから感情が生まれるのはもちろん、感情を目的(原因)として目線が生まれる(結果になる)、いわゆる逆流現象が起きる。
要するに、「自分には値しない」とか「自分には相応しくない」っていう潜在的な意識が「自信がない」という状況を盾に使ってブロックしているということ。
原因があるから怒っているのではなく、怒りたいから原因を作り出している。アドラー心理学とも通ずる部分があるかも。
p.s.潜在的な当然意識=自信 っていうことでFAかもしれない。気づいた。今気づいた。あっけないけどコレ結論でおねしゃす
まとめようね
最後になりますが、先生が先生って呼ばれるのっていつか知ってます?
先生として教壇に立ったときです。
決して、自分の教えてる教科の博士号を取った時でも、論文で評価を得た時でもなく、ただの素人が教壇に立った瞬間に「先生!」って呼ばれるんです。
数年前の僕の話ですけど、当時は「俺が先生なの?」って違和感がありました。そっからいろいろ必死で勉強するわけですよね。先生って呼ばれるから。
もちろんインドカレーは美味しいんですけど、つまり条件付きで自分を認めるのはやめようってことなんですよね。SEOを勉強し終わってからサイトを作るのはやめよう、コンテンツSEOを完璧に学んでからサイトを作るのはやめよう、月XX万いってからASPの担当者に営業するなんて制限をつけるのをやめようってことです。
ブーメランですね、ぜんぶ。
条件付きの承認なんて、大抵できない・やらない・成し遂げないための言い訳にすぎません。日本人の親はそういう育て方した人多いと思いますけど。「できるならやっていいよ」みたいなね、そんなのやらないとわからんよっていうね。
生まれる前に、天使みたいなヤツに「お前、起業して年商500億の会社作るんなら生まれてもいいよ」なんて約束絶対にしてないからね。
生まれちゃって、育っちゃって、そして今こうして生きてるんだから。楽しくやろうぜ。インドカレーは美味しいですよ。