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うぇぶまけ給水所|content="noindex"

日々の思考の給水所。人生論がお好きなマーケターさんはごひいきに。

セックスしてみなきゃ、本当のところはわからない。

「知っている」の先

知ってるだけじゃ使えない。

知ってる先には「できる」がある―

ただの知ったか

【知ったかぶり】本当は知らないのに、いかにも知っているようなそぶりをすること。また、その人。知ったぶり。「―をする」

しったかぶり【知ったか振り】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

最上級の知ったか

【知ってるだけ】本当はできないのに、詳しいふりをしてできるようなそぶりをすること。また、その人。ダサいやつ。「―でなにもできない」

しってるだけ【知ってるだけ】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

 自己啓発本なんか読んでも、クソの役にも立たなかった。

自己啓発本は趣味であり、エロ本と同じ。

自己啓発本が好きだった。知識や法則をいつかは応用できると思っていたからだ。

自己啓発本は エロ本と同じだ。エロ本と同じように、知的好奇心を満たしてくれる。エロ本が性欲を満たす手助けとなるように、自己啓発本は自己承認欲求や社会的欲求を満たしてくれた。

でもベッド下の引き出しに収まりきらないほどの自己啓発本たちは、本当のリアルを教えてくれるわけではなかった。ときに寄り添ってくれ、ときに励ましてくれ、ときに未来を見せてくれた。彼らはただ「娯楽」として存在していただけだった。

安全地帯からみた景色

エロ本も自己啓発本も「第3者の視点」に立っている。客観的な視点で対象をみているから、本当のリアルじゃない。

  • スポーツ選手とTV観戦者が違うように
  • 政治をする側と眺める側が違うように
  • コンサートで歌う側と聴く側が違うように

「客観的な視点を持てばうまくいく」と考える人間は現場のリアルに対峙しない。どこか離れた場所から自分を眺め、安全地帯から完璧な理論武装をする。安全地帯にいなければ批評はできない。

いざ現場に赴いて最大のパフォーマンスをしようとすれば、リアルの自分を犠牲にして客観的な自分にしがみつくか客観的な立場など捨ててかっこ悪い自分がコミットするしかない。

コミットせずに批評することなど本来ありえない。コミットしない人間に何がわかる?

でも、コミットすれば批評ができなくなってしまう。景色が丸ごと変わるからだ。これが「ポジショントーク」であり、ポジショントークが悪とは言えない理由。

本当のリアルはコミットした場所にある

コミット。それはヤジルシのようなものだと思う。常にヤジルシがどこに向いているか。ヤジルシ、言い換えればベクトルの向かう先を「コミット先」と呼ぶんだと思う。

自己啓発本も何もかも、この世の知識は「経験から得た認識」によってのみ現実になる。自己啓発本を読んでことに向かう?エロ本で予習してことに向かう?

違う。本来なら知識と認識の順序は逆だ。認識があってこそ、知識が体系化される。無駄かといえば無駄じゃない。けれど認識ファーストに切り替えなければ先はない。

トレードオフ

銅の斧は存在しない

「あなたが落としたのは、金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」ときかれたら、どちらかを選ぶしかない。童話では銅の斧が存在しても、現実には

  • 男なら女ではない
  • 日本人なら外国人ではない
  • 自営業なら会社員ではない

の関係がなりたつ。

「男ですか?女ですか?」「どちらでもありません・・」「ならば両方差し上げましょう」な話はこの世にはない。常に片一方ではありえないからこそ、価値が存在する。翻訳者としてもだ。

時間軸をずらせば同時に存在する

昨日男性だった人間も、今日は女性かもしれない。時間軸をずらせば2つの存在になる。ただ、今この瞬間の自分が何者か。

コミットするたった1つのものは何か。不器用な人間にとって、ポートフォリオなど存在しない。それは自分の資産をどう配分するかということであって、「自分が何者か」なんて上位の存在には適用されない考えだと思っている。

プレイヤーとコーチ

コーチこそ存在する意義だと思っているし、時代に求められていると思う。人と人との翻訳家になりたいし、自分の特性やモチベーションをみてもコーチとして生きたい。

プレイヤーとして身軽になるには、このブログに吐き出しているところからして不向きにもほどがある。

要は何が言いたいかというと、そろそろ吐き出し終わって戦略も固まってきた。このブログよりも大切なものができた。だからスタンスを切り替えざるを得ない。

わかった、とか。わかりました、とか。なるほど、とか。その場しのぎでいってるだけ。本当は誰もなんにもわかっちゃいない。

参考になりました、とか。ためになった、とか。反省しております、とか。そんなもの口から出ただけだ。

本当の認識を得ること。タイガーさんでいえば「知ってる」ではなく「やってる」。プレイヤーとしての結果にコミットする。

さいご

圧倒的な実力不足

さっきいった「自己啓発から得られたものなんて何もなかった」って言葉。あれは半分嘘で、半分本当だ。

嘘というのは、今ある自分はそこからできてきたからだ。後悔はしていないし、過去の自分を恨んでもいない。自分の特性を伸ばすことができてよかったと思っている。

しかし一方で圧倒的な実力不足だと思っている。人は自分の思考の中にだけ生きるわけじゃなくて、同時に3次元の空間で生きている。自分が思っていることを具現化するには、圧倒的な実績が必要不可欠で、かつそれを達成するのは今しかない。

達成に邪魔になっているのは上述した「客観的な思考」だ。だから自己啓発本なんてどんな結果の足しにもならなかったし、むしろマイナスでさえある。

時間>自分

自分よりもえらいもの。それは時間だ。時間は社会の価値であり、人生の価値の根源だ。

おそらくは、時間とはぼくらの思っているものとは異なるだろう。2次元の存在が線を飛び越えられないように、ぼくらは時間を飛び越えることができないだけだ。そして便宜上過去と未来を設定しているだけ。それでもこの世界のルールっぽいものが「時間」だ。

寿命がどうにもできないように、時間という存在はぼくらが物理空間に生きている限り乗り越えることができない存在だ。

で、今後

色々書いたけども。ときたまブログ更新していきたい。短文になると思うけど。

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